2011/11/17

手紙


所々に茶色い小さなしみのあるとおに色あせてしまった便せんに書かれた一通の手紙がある。

それは生前に祖母が知人に宛てて書いたお見舞いの手紙で、今日三回忌を迎える祖母の形見分けとして私がもらったもので時々こうして読み返している。


いそがしさに追われて内の中にひきこもって仕事をして居ますので おばさんの目の悪い事も 入院されたこともちっとも知りませんでした。お許しくださいませ 長い間知らない人達のところに行かれてたいくつして毎日を過ごしていることを思いますと、なにかお送りしてなぐさめて上げたいと思いながら今までご無沙汰してしまいました。その後のご様子はいかがですか。目は長くかかるといいますから 気長にしてすっかりよくなって帰ってください。私もおやじが死んでから早や五ヶ月も経ちました 。あっては其の人のよさも知らずに 唯毎日を追われる様な商売に働いて来た私達でしたが 、亡くなってみて やっぱりあの人と暮らさなければ生きて居る介のない事をつくづく思います 。でも悲しんでいてばかり居て 自分の役目もできない様なことはせられませんし お母さんを大切にしてあげる それがいつも考える私の役目です。おばさんは美しい人で まだ若い時に主人をなくした人ですから 人知れずすべてにご苦労をされた事だろうと思いますと たまらなく気の毒に思います。今までも特によくして戴いて居ますが、また今からも私の心のむちになってくださいませ。 人は歩かない道は知るよしもありません。おばさんはよき私の指導者であります。 どうぞいつまでも強くお元気でいてください。しだいに春もふかまる頃になりますので気分も何もかも夜の明ける思いがします。 どうぞお大事に すっかりよくなって帰れる日を待って居ます。


静かに流れる川のように綴られた行書体の文字からは息づかいが伝わってくるように感じ、まるで祖母が私の目の前で手紙を読んでいるのを聞いているような感覚になるのが不思議でいろいろな想いが入り交じりながらもなんとも愉快な気持ちになる。


それにしても、なぜ祖母が知人に宛てた手紙がここにあるのだろうと最初不思議に思ったのだが、ひょいっと便せんを裏返して見ると色の違うインクでこんなことが書いてあった。


此の便りは昭和40年に私が入院中のおばさん宛に書いたもので、おばさんが亡くなったあと娘さんが こんな便りを書いてくださっていたのです 関心いたしました ありがとう とお礼を云って返してくれました 私の心を思ってくださった 娘さんにお礼を申し上げます この便り 私の心のままを差上げた事なのに有り難いと思って 私の心のままを返してくださいました その心を私は時々思い出して感謝しているのです あれから20年 私も71才になりました もう残り少ない人生です。。。


長い時を経て再び自分の元へ戻ってきた手紙を読み返しながら祖母はどんな時空を行き来し、どんな思い出の記憶を再生し想いを膨らませ、心をいっぱいにしたのでしょう。手紙の中では祖父のことをおやじと言っていますが、実際は傍目も気にせず最愛の旦那様を「あなた〜」と呼んでいたこと近所では有名だったようですよ。


便せんの裏の最後に祖母はこんなふうに続けています。


みなさん

私の知っているみなさん 私は本当に幸せでした

ありがとうございます

思うがままに過ごさせてくれたことをいつも心の底から感謝して居ます

ありがとうございました

私の知っている皆さまに心からお礼申し上げて

幸せ一杯で私の一生を終わります


ちどり


ちなみにちどりさんは、この手紙との再会から更に20年以上元気に私の大好きなおばあちゃんとして大活躍してくれたのです。ありがとう。


ちどりさんの口癖は「しょんあるかい」=「仕方ない」標準語に直すとなんとも味気ないが、「ウジウジ後悔したってどうにもならない、仕方ないと腹括って次!次!」というパンチの利いた一言なのだ、そしてその後に必ず言うのが「しれたもんよ」=「楽勝!楽勝!」なんともはちきんを地でいくおばあちゃんなのであった。アレコレ口うるさく小言を言われた記憶は全くないのだけれど、一つ私の心にドカーンと居座り続けているちどりさんの言葉がある。

「余計なことは言うな」

ぐぐぐぐぐ。。。気をつけまっす。


もしかして今のところちどりさん最年長のrevokoかな?

3 件のコメント:

  1. 匿名18/11/11

    優しい心でその人を想う。
    私もそうありたい。

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  2. 最後まで読みました。小田急線の中、旦那との考えのくいちがいに、すこ暗くなっていました。光が見えたきがします。

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  3. 手紙の中に文学を感じました。
    ちどりさんの目の聡明な光が印象的です。

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