春爛漫。
しばらくの間、空がさくら色に染まっていた。
花過ぎの今も散り逝く花びらの舞いに覚悟を感じて
どうしても任侠をイメージしてしまう。
さくらを見るたびに「あちら側」に誘われるような気がして
なんとも落ち着かない感じがする。
みなさま如何お過ごしですか?
毎年、春は地に足が着かない気分になるとは言え、
春の病のわずらいも長引いてしまっては
儚げな美しさもどこかへ消え
ただのずうずうしさに変わってしまうやも。。。
さくらの下で仁義でも切っておきますか〜
吉村貫一郎が、地元盛岡の子供たちに諭した言葉。
ええか、みな良ぐ聞け。南部盛岡は江戸より百四十里、奥州街道の涯(はて)ゆえ、西国のごとき実りはあり申さぬ。おぬしらが豊かな西国の子らに伍して身をば立て、国ば保つのは並大抵のことではねえぞ。盛岡の桜は石ば割って咲ぐ。盛岡の辛夷(こぶし)は、ほれ見よ、北さ向いても咲ぐではねえか。んだば、おぬしらもぬくぬくと春ば来るのを待つではねえぞ。南部の武士なら、みごと石ば割って咲げ。盛岡の子だれば、北さ向いて咲げ。春に先駆け、世にも人にも先駆けで、あっぱれな花こば咲かせてみよ
ええか、みな良ぐ聞け。南部盛岡は江戸より百四十里、奥州街道の涯(はて)ゆえ、西国のごとき実りはあり申さぬ。おぬしらが豊かな西国の子らに伍して身をば立て、国ば保つのは並大抵のことではねえぞ。盛岡の桜は石ば割って咲ぐ。盛岡の辛夷(こぶし)は、ほれ見よ、北さ向いても咲ぐではねえか。んだば、おぬしらもぬくぬくと春ば来るのを待つではねえぞ。南部の武士なら、みごと石ば割って咲げ。盛岡の子だれば、北さ向いて咲げ。春に先駆け、世にも人にも先駆けで、あっぱれな花こば咲かせてみよ
浅田次郎『壬生義士伝(下)』2002年、文春文庫p.117、より
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